調 査 速 報
富山市浜黒崎悪地遺跡(令和5年11月)


浜黒崎地区の発掘調査が終了しました。浜黒崎悪地遺跡では遺跡の一部を調査したにとどまりましたが、古代の溝を発見するなど貴重な成果を得ることができました。これから図面や写真、出土遺物などを整理し、成果を報告書にまとめていきます。

富山市浜黒崎町畑遺跡(令和5年10月)

浜黒崎町畑遺跡にて地元住民の方を対象に遺跡説明会を開催しました。当日は好天に恵まれ、約30名の参加がありました。現地では屋敷地の存在を思わせる堀や柱穴などが見つかっており、参加者の方々は興味深げに見学されていました。

富山市浜黒崎町畑遺跡(令和5年9月)

浜黒崎地区の秋期調査が始まりました。はじめは海岸近くの浜黒崎町畑遺跡です。これからなにがみつかるか楽しみです。

富山市小長沢鎌蓋遺跡(令和5年8月)


旧婦中町では今年度唯一となる発掘調査を行いました。小長沢集落と羽根丘陵にはさまれた水田地帯にある小長沢鎌蓋(こながさわかまぶた)遺跡です。水路幅の調査区で自然流路を確認しました。南側に流れている山田川の支流であったのではないかと考えられます。現在は平坦な水田地帯となっていますが、去年行った近隣の小長沢Ⅱ遺跡や下邑(しもむら)遺跡の調査によって、かつては起伏のある地形が各所にあったことがうかがえます。残念ながら自然流路からは土器や陶磁器が見つかりませんでしたので、時期を決定できませんでした。このため、今後堆積土壌の自然科学分析によって、時期の推定と環境の復元を行っていきます。

富山市浜黒崎町畑遺跡(令和5年7月)


浜黒崎町畑遺跡の調査では、昔の人が掘った溝のほかに地面深くから砂が脈状に噴き上がった部分がありました。これは大きな地震による液状化現象の痕跡で噴砂と呼ばれています。富山県内で噴砂が生じるような大きな地震は、遺跡の埋まっている土層から考えると江戸時代終わりの安政地震(1858年)とみられます。安政地震は県内各地に最も被害をおよぼした地震として有名です。近年、大きな地震の少ない富山県ですが、過去には大きな地震が起こっています。地震の怖さとその備えを感じさせてくれる遺跡でもあります。

富山市水橋荒町・辻ヶ堂遺跡(令和5年7月)


調査が終了しました。調査地の中央部は宅地の整地層でかなりの部分が壊されていましたが、弥生時代や近世の溝等を確認することができました。また、掘立柱建物が2棟あり、その柱穴には柱の痕が残るものもあります。掘立柱建物は出土遺物が少ないため、今のところ時期は不明です。構造や規模等の特徴を踏まえて、今後検討を進めていきます。

富山市浜黒崎悪地遺跡(令和5年6月)


浜黒崎悪地遺跡の発掘調査がはじまりました。あいの風とやま鉄道悪地野踏切のすぐ近くです。旧地形が谷地だったとみられ、低い部分では水が湧き、調査には苦労しました。小高い部分では並行する溝がいくつかみつかりました。建物跡がなく、遺物が少ないなど居住地というよりは水田など耕作地の区画溝と考えられます。近接地の調査は稲刈り後に予定しています。秋の調査が待ち遠しいところです。

富山市水橋荒町・辻ヶ堂遺跡(令和5年6月)

人力による掘削作業を開始しました。6月とはいえ気温30度を超える日もある中、調査を進めています。今のところ区画を示すような溝や建物を構成する柱穴などが見つかっていることから居住域が広がっていたと考えられます。

富山市浜黒崎町畑遺跡(令和5年5月)

浜黒崎町畑遺跡の発掘調査がはじまりました。鎌倉時代から江戸時代に作られたとみられる溝がいくつかみつかりました。溝は並んでいたり、直角に交わったりするとみられます。限られた調査範囲のため、全容はわかりませんが建物跡がなく、遺物が少ないなど居住地というよりは水田など耕作地の区画溝と考えられます。現在は水田地帯となっている土地開発の歴史をさかのぼる資料となりそうです。

富山市水橋荒町・辻ヶ堂遺跡(令和5年5月)

調査を開始し、表土を取り除くために重機を用いた機械掘削を実施しています。今後は見つかった溝や穴などの遺構を人の手で掘り進めて行きます。